SSブログ

スポンサードリンク

為政者の才覚と徳 「悲しい国」への対応 [西郷南洲翁遺訓]

三十九 才覚と徳

こんにちの人は、才覚と知識さえあればどんな事業でも思うがままに運べると、考えているように見受けられます。

確かに、才覚と知識は、仕事を為すのに必要な条件です。言うまでもない。これらが無ければ始まらぬ。
しかし、です。それだけでは困るのです。
才だけに任せて突き進んでいくような仕事の為し方は、どうにも危なくて、見ていられません。

仕事とはどんなものであれ、人々の協力と団結がなければ、決して成し遂げられぬ。ところが上に立つ者が、おのれの才覚だけで仕事が出来ると勘違いしていると、人々への心配りをおろそかにする。人々を道具か何かのように扱い、ただ自分の言いなりにさせようとする。
これは、人の誇りを踏みにじる行為である。そんな人間関係に、協力も団結も生まれようはずないではないか。
だから、初めこそ上手く行っているように見えても、必ずや中途で破綻するのが、解る。そんな仕事ぶりは、とてもではないが、座して眺めていられるものではない。

他者の心を大切にする思いは、仕事を為す者には不可欠であります。この思いが徳であって、徳が無くして仕事は決して成し遂げられぬのです。

私は、まだ徳川の世だったころに、肥後藩にお勤めだったとても立派な先生より、このことを深くご教授いただきました。
その先生は、長岡監物(ながおかけんもつ)とおっしゃる方で、肥後藩の御家老でありました。
たいへんな大学者で、あのアメリカ国のペリーが我が神国へ土足で踏み入ってきた時に、ご主君のお召しによって、江戸へいらっしゃったのであります。いわば、肥後藩におけるアメリカ国対策の総責任者でありました。

長岡先生のお勤めぶりは、それは見事でありました。ご主君からも下の者からも、心より信頼されておりました。
先生は、その学識の深さと徳の高さから、江戸で多くの人より尊敬を受けておりました。お勤めのかたわら、上は諸藩の大名から下は浪人者まで、様々な身分の者と親しく交わり教えを与えて下さったのです。
そして私もこの時分に、当時の知己たちと親しく先生にお教えを受けたわけです。

残念なことに長岡先生は、安政六年(1859)に四十七歳の若さで、亡くなっております。御維新の八年前であった。
先生が御維新後のこんにちをご覧になったら、どのように嘆かれるでありましょうなぁ。

――と、西郷先生はこのようにご説明下さった後、
「こんにちでは、長岡先生のごとき“真に仕事を成し遂げられる”立派な人物は、多少似ている程度の者さえ、見られなくなった」
――と嘆かれました。
そして、次の古語を書いて我々に示されました。

「それ天下は、誠にあらざれば動かず。
才あらざれば、治まらず。
誠の至る者は、その動くや、速やかに。
才の周(あま)ねき者は、その治まるや、広し。
才と誠と和し、しかる後、事を成すべし」

これを解り易く申し直すならば、次のようになりましょう。

「天下は、導く者に『誠と徳』がなければ人々は本気で動かず、発展はない。
導く者に才覚がなければ、法の運用が上手く行かず、平和に治まらない。
為政者が誠実さを忘れなければ、発展は速やかに進む。
為政者の優れた才覚が正しく生かされれば、暮らしの安全と法の秩序は、隅々まで行き渡る。
才覚と徳は、どちらも欠けることなく対等に合わさって、そうして初めて事は成り立つのである」と。

「才覚」と「徳」。
別の言葉で示すならば、「能力」と「道への志」。
これらは、まさに車の両輪であって、仕事を為すにはどちらに偏ってもならぬと、西郷先生は教えてくださっているのです。

長尾剛著 西郷南洲翁遺訓 184~189ページ

――――――――――

為政者に「才覚と徳」があっても、国際的な約束を反故にするような国とは対等な外交は続けられないということでしょうね。
「仏の顔も三度まで」とあるように、いくら慈悲深い日本であっても無礼を繰り返す某国に対して、駐韓大使に一時帰国を指示…少女像に対抗措置、というニュースは、久々にスカッとしました。
菅官房長官は「韓国は隣国であり、極めて重要な国だ。このような措置を取らざるを得なかったのは極めて残念だ」と険しい表情で述べた、ということです。
日本にとって戦略的に重要な国だとは思います。

中央日報によると「あえて少女像問題をめぐり国民の自尊心を傷つけながら通貨スワップにこだわる理由はない」としています。
「国民の自尊心」が政治や外交に左右される国だということを、大手新聞が述べているわけです。
さらに宋寅昌次官補は「今後日本が望むなら通貨スワップ協議を再開することができる」と。
国民に日和ながら政府もメディアも自尊心をくすぐり反日する、結局国民のためにはならない「悲しい国」、反日の化け物となった世論を国としてどうすることもできない、ということが手に取るようにわかります。

「天下は、導く者に『誠と徳』がなければ人々は本気で動かず、発展はない」

国としての統治はどうなっているのか、韓国にとって「為政者の才覚と徳」が機能するというのは、夢のまた夢なのかもしれません。

nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

広告スペース
Copyright © シニカルを目指すわたしの雑学 All Rights Reserved.

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。