SSブログ

スポンサードリンク

戦略としての「策略」 トリック・たくらみ・いかさまとしての「策略」 [西郷南洲翁遺訓]

三十四 策略をする時、しない時

策略とは、戦や駆け引きにあって相手の裏をかき、相手の思いもよらぬ手を使うことである。

したがって、時と場合によっては芝居を打って相手を騙す場合もあり得る。相手に我が手の内を隠す場合も、有り得る。
策略を仕掛けられた相手は、
「ふだんの様子から、こんな手に出てくるとは思いもよらなかった」
――と、驚くであろう。
策略は、勝利を導くためには必要という場合が、多々あります。勝利のために策略を用いるのは、兵法である。恥ずかしいことではない。

しかるに、である。
策略を用いるのが許されるのは、あくまでも「戦いの場」においてなのです。
敵味方それぞれがおのれの存亡を賭けて、まさに「勝たねば生き永らえぬ」といった状況に追い込まれた時のみ、策略は必要とされるのです。
人は、生きねばならぬ。生きる権利がある。その権利を守るためにほかに方法がなければ、策略は用いるべきである。

したがって、戦いの場とは違う「平時の暮らし」のなかにあっては、策略は用いるべきではありません。
平時の策略は、道に外れたものです。
他人と対して、「彼を負かさねば、自分が死ぬかも知れぬ」というほどにせっぱ詰まってもおらぬのに、ただ「相手を打ち負かして優越感にひたりたい」といった程度の下卑た私利私欲で、策略を用いるなぞは、これは大いに恥ずべき態度です。

何となれば、策略はどうしたって、相手の心を傷つける。相手に屈辱を与え、相手を疑心暗鬼に陥れる。
無慈悲なものである。
策略は、使わずに済むのなら使わぬに越したことは、ないのです。

さらには、相手の心の問題だけではありません。
策略は、用いる者にとっても危ういものだと、よく知るべきでありましょう。

策略を用いて為した行いというのは、その結果を見れば、必ず“良くない事態”を引き起こしているものです。
策略のおかげで結果が全て失敗になる場合もある。そうでなくとも、その場は上手く収まったように見えて、じつは長い目で見ると、後々で大きな損失につながる場合もある。
さらには、全体として策略が成功につながった場合でも、副産物のように何かしらの禍根が残る場合もあります。それはきっと、将来に災いの種となります。

策略とは、必ずリスクがあり、どんなに成功しても必ず何かしらのデメリットを生むものなのです。戦にあって策略を用いる場合だって、無論それだけの覚悟をもって為さねばなりません。

先に述べたとおり、だから策略はふだん用いてはならぬ。ふだん用いぬからからこそ、いざ戦いの場に会って策略が、より効果を発揮するのです。
少しでも犠牲を抑えて、勝利に結びつくのです。

ふだんから策略を好んで用いるような男は、いざ戦時に臨んでも、却って有効な策略が立てられぬものです。
こうした男は、おのれの知恵を自慢したくて、いつでも策略を振り回している。さして必要もないことで他人を打ち負かして、屈辱を与えて喜ぶといった、じつに浅簿で醜悪な心の持ち主である。

こうした者は、本当に勝たねばならぬ状況に追い込まれるや、決して策略が成功しない。何となれば、ふだんの愚かな振る舞いのために、世間に「謀略家」として名が通ってしまっている。敵も「あんな男のやることは、絶対に信用できぬ。必ず裏がある」初めから見抜いている。
そこまで世間の信用をいっさい失っている男の策略になぞ、乗ってくる敵はまずいないものである。

古代中国、三国の時代、あの名軍略家の諸葛亮公明は平時にあっては決して策略を用いず、誰に対しても正直な態度で臨んでいた人でした。
彼ほどの才覚ならば、何時いかなる場にあっても、相手が誰であっても、策略を用いるのは簡単でありましたろう。ですが、彼は道を行っていた人でしたから、策略で他人を負かして面白がるような下卑た私欲は、持ち合わせていなかったのです。

そして、いざ戦になるや、孔明の策略はことごとく成功して、敵を悩ませた。ふだんの彼が道を守っていたから敵に大きな疑心を抱かせず、それがため策略の成功が、より上手く運んだというのも、また事実であります。
孔明の戦は無駄な犠牲を生まず、策略によるデメリットというものも最小限に抑えられていました。まことに、戦における策略というものの、手本であります。

私はかつて、明治6年に政府と意見を違え、それがために帝都での職を辞して、薩摩に帰ってまいりました。僭越ではあるが、私が政府を去ればそれなりの騒ぎがおこるであろうことは、もちろん予測しておった。
ですが、私は薩摩に帰るにあたり、帝都に残って治安を守る我が弟の従道にこう告げたのであります。

「私が去れば、世間に多少の動揺があるやも知れぬ。
しかし私は、これまで平時にあっては決して策略は用いてこなかった。
だから私が去ったとて、『きっと何か裏があるに違いない』とか『西郷隆盛はふだんから信用ならぬ男だから、これはとんでもない悪事を働く前触れかも知れない』とか、そんな疑念を世間が抱くことは、絶対にない。

したがって、世間にはいらぬ騒ぎも起こらず、私がいなくなっても何の“濁り”も生じぬ。ほどなく落ち着きを取り戻すであろう。
きっとそうなるから、心配しないで様子を見ていておくれ」と。

そして世間は、私の申したとおりでありました。
長尾剛著 西郷南洲遺訓 160~166ページ

―――――――――

策略はいざという時のためのものであり、平時にこれを用いることは、人間の価値を下げるという、西郷さんの人生哲学ですね。
いつの時代にも、高貴な価値観をもって生きている人と、ふつうの人、そして人の道に反する生き方をする人と大きく分けられます。
西郷さんはサムライの中のサムライ、人の道を極めようとした人です。
戦前の東大生が、最も尊敬する人物として西郷隆盛を上げたことは、そこに指針があったからだと思いますが、そこに価値観を求めた日本人を、今の時代から見ても誇りだと思います。
政治も西郷さんが言うように、平時は正直で正攻法でなければ、人の信頼を得ることはできないものです。

少しニュアンスは違いますが、読売新聞「人生案内」の哲学者・鷲田清一氏の回答が良かったので紹介しますね。
質問者は、30代の経理関係の仕事をしている方で、社内で不正を見つけてしまった、というのです。盗んだ人の身になって、自分が告発したことで、相手の人生を壊してしまうのではないか、人生を奪ってしまうのではないかと心配していらっしゃるのです。
これに対して、鷲田清一氏は次のように書かれています。

淡々と事実を上司に報告する。それしかありません。上司に報告した後も、すぐにはすんなりいかないかもしれません。だれが「密告」したかの詮索が社内で始まるかもしれないし(密告ではなく当然の行動ですが)、ひょっとして事が露見しないよう上司が策を弄するかもしれません。
それでもやはり淡々と報告しなければなりません。

人生にも仕事にも、これをやったら終わりという瀬戸際があります。跨(また)いではならない敷居といってもいいです。小さな過ちを繰り返しているうちに、この敷居の意識がだんだんと鈍ってきて、ついにそれを跨ぎこしたことすら気づかなくなります。

そして今、あなたは自信もじつは同じ敷居の前にいるのです。これを見過ごしたら、もう少し大きな過ちも見過ごすはめになる。気がつけば、過ちの温床が社内にじわーと広がっていて、会社が破綻寸前になっているかもしれません。
(以下略)

読売新聞11月28日

鷲田清一氏が仰ることは、人生訓でもありますね。

わたしが経理を始めた当初、部長から言われ続けてきたことがあります。
「経理は嫌われるくらいが丁度いい」
経理の仕事を通して学んだことはたくさんあります。


nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

広告スペース
Copyright © シニカルを目指すわたしの雑学 All Rights Reserved.

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。