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「天下武布」の信長と比叡山焼き討ち [雑学としての歴史]

本日は1571年(元亀2年) 比叡山焼き討ちです。 

桶狭間の戦いに勝った信長は、今川支配から独立した松平元康(後の徳川家康)と同盟を結びます。
その後の領土拡大は近江の浅井長政に妹お市を嫁がせるなど、婚姻政策や養子戦略などで周辺国と同盟を結んでいきました。

この頃の信長は、幼少期からの教育係であった沢彦宗恩(たくげんそうおん)の「天下武布」の進言を受けて、この印章を用い天下統一への志を固めたとされています。

ちなみに「天下武布」とは一般的解釈は「天下に武を布(し)く」とされ、「武力を以って天下を取る」「武家の聖賢を以って天下を支配する」となります。
しかし僧侶であった沢彦宗恩の本意は「七徳の武」という為政者の徳を説いたものであり、七徳の武とは、暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにする、この七つを意味しています。

天下武布.jpg


引用元:天下武布の朱印

さて都では、傀儡としての足利幕府を復権しようとした三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)と松永久秀によって、第十三代将軍足利義輝が暗殺されました。(永禄の変)
その後第十四代将軍として義輝の従弟である義栄(よしひで)を擁立しています。

三好三人衆と松永久秀との権力争いは、時には協力し時には争うなど離合集散を繰り返し、畿内の情勢は混乱していました。また義栄自身は病弱であったため、上洛もままならず信長に押されることは必定だったと思われます。在位7カ月。

これに対して幕臣の細川藤孝(=幽斎)は、義輝の弟、一乗院覚慶(いちじょういんかくけい=足利義昭)を還俗させて後継に立てています。

信長は、義昭を第十五代将軍に奉じて上洛し、将軍と、信長を「古今無双の名将」と褒めたという正親町(おおぎまち)天皇の権威を利用して天下に号令をかけ、わずか十数日で畿内をほとんど平定しました。その後、信長は義昭を京都から追放することに成功し、事実上足利幕府は滅亡しました。

しかし、反信長である三好の残党勢力が四国の阿波にあり、大坂の石山本願寺と連合していました。さらにお市を輿入れさせた浅井長政が敵対し、越前の朝倉義景(よしかげ)との連合軍が京都に入り、比叡山延暦寺に立てこもるという事態が起きていました。

信長は比叡山に対し、浅井・朝倉の引渡しを要求しますが、比叡山は断固として拒絶します。そのうち六角義賢(ろっかくよしかた)が甲賀から挙兵、本願寺門徒衆は近江の通路を塞いで、信長の本拠地尾張との交通を遮断しました。さらに弟信興(のぶおき)が伊勢長島一向一揆で、自害に追い込まれるなど、信長は非常に危ない状況でした。

これに対して信長は、正親町(おおぎまち)天皇の勅命を請い、浅井・朝倉、本願寺と講和を結びました。
そして翌元亀2年、浅井長政の居城である小谷(おだに)城を攻め、次いで「比叡山焼き討ち」を行います。信長は比叡山の建物すべてを焼き払い、女性や子供まで皆殺しにしたとされています。

この「比叡山焼き討ち」には賛否両論があり、江戸期の儒学者新井白石などは『読史余論(とくしよろん)』で「比叡山の兇悪を除いたのは大きな功績であった」と評価しています。

「信長公記」に「天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し」とあり、当時の比叡山が堕落していたことが指摘されています。

しかし、信長の真の目的は「敵対した者にたいする攻撃」だった、というのが本当のところだと思います。
渡部昇一氏は著書で、面白い指摘をされているので引用します。

【引用】
世界史的に見て私がおもしろいと思うのは、ユーラシア大陸の東の果ての島国である日本と、西の外れの島国イギリスが、ほぼ同じ時期に徹底的な中世破壊を行なっていることだ。

信長は中世のシンボルである比叡山を焼き討ちしたが、イギリスではヘンリー8世が中世以来のカトリックの大修道院をことごとく破壊して、いわゆる宗教改革を行なっている。同じ頃に同じようなことが起こり、それで日本もイギリスも中世が終わった。日本の朝廷における比叡山、イギリスの王室におけるカトリック教会、という中世の権威の象徴が完全に破壊されたわけだ。イギリスではヘンリー8世、日本では信長をもって近世がはじまったのである。

天正元年(1573)、信長は続けて浅井・朝倉を討ったが、越前の一向宗徒が蜂起して信長に降った朝倉の一族の者を滅ぼし、越前は本願寺一向宗徒に占領された。信長は大軍を越前に送り込み、比叡山同様、徹底的な殺戮を行なった。一揆衆1万2千550人が殺されたという。こうしてさしもの「一向一揆」も終焉を迎えた。
渡部昇一著 読む年表 日本の歴史 103ページ

恐怖政治で一揆を鎮める、冷静に分析し死を覚悟して戦場に臨む、自分の力が及ばない時には朝廷の力を借りる、大胆な人材登用など、信長に今の人たちが注目するのも分かるような気がします。

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