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「心を言葉にする」 エレガントな北山修 [新聞記事 芸能]

誰だろうと思って目に入ったのですが、記事には「きたやまおさむ」とありました。

北山修講師.jpg

引用元:テレビ寺子屋 北山修

わたしの中では忽然といなくなった人だったので、「帰ってきたヨッパライ」ならぬ「帰ってきた北山修」でした。
記事を読んでみて、芸能界と一線を画したのはご自身の明確なポリシーがあったのかなと思いました。
文化面での著書「くたばれ芸能野郎」というタイトルをみても、芸能界隈の本質を見抜いちゃったのかなと。

才能あふれる加藤和彦、神学部のはしだのりひこは少し変人(?)そういう中で北山修のイメージは、わたしの中ではいつまでも残っていました。
実をいうと、当時のわたしには、おじさんに見えたのです。

北山修は「帰ってきたヨッパライ」、「あの素晴らしい愛をもう一度」などの作詞で有名なフォーク・クルセダース(フォークル)の結成メンバーです。
「風」、「花嫁」「白い色は恋人の色」等々若者の心に響く素敵な詩を残しています。

もともと「フォーク・クルセダース」は北山修、加藤和彦、平沼義男、芦田雅喜4人のアマチュアグループが始まりです。
北山修は京都府立医科大学に通っていた時期で、メンバーの芦田がヨーロッパ旅行に行くことになり、解散記念にアルバムを自主制作します。その中の一曲「帰ってきたヨッパライ」に注目が集まり、リクエストが殺到。
北山は難色を示す加藤を毎日説得し続け1年限りという約束でプロデビューを果たしました。

北山修は大学卒業後、精神科の開業医として従事し、九大の大学教授として教育に携わっています。
精神分析関係、文化論など著書は多数。
Wikipediaに紹介された著書は以下の通りです。

「悲劇の発生論――精神分析の理解のために」
「錯覚と脱錯覚――ウイニコットの臨床感覚」
「心の消化と排出――文字通りの体験が比喩になる過程」
「見るなの禁止」
「言葉の橋渡し機能」
「自分と居場所」
「みんなの精神科」
「みんなの深層心理」
「幻滅論」
「精神分析理論と臨床」
「劇的な精神分析入門」
「覆いをとること・つくること」
Prohibition of Don’t Look: Living through Psychoanalysis and Culture in Japan
「最後の授業――心をみる人たちへ」
『評価の分かれるところに――「私」の精神分析的精神療法』
『意味としての心――「私」の精神分析用語辞典』

「くたばれ芸能野郎」
「戦争を知らない子供たち」 
「さすらいびとの子守唄」 
「ピエロの歌」 
「白いクジラの泳ぐ空」
「止まらない回転木馬」 
「人形遊び――複製人形論序説」 
「サングラスの少女」
「ジョン・レノン――All that John Lennon1940-1980」
「人形は語らない――出会いの不在-不在との出会い」
「うい・あー・のっと・ざ・わーるど」
「他人のままで」
「ビートルズ」
「心のカタチ、心の歌」
「ふりかえったら風」
「ビートルズを知らない子どもたちへ」
「帰れないヨッパライたちへ」  
『コブのない駱駝――きたやまおさむ「心」の軌跡』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%B1%B1%E4%BF%AE

北山修が何を考え課題としてきたかが覗え、「コブのない駱駝」などは、いつか機会があったら読んでみたいと思いました。

九大で教授に昇格し、2010年に退官するまで19年間、平日は福岡、週末は東京という生活をつづけたと新聞記事で紹介していました。
その後、国際基督教大学教養学部客員教授、白鴎大学副学長を歴任し17年3月退任。

音楽活動の方は、35歳40歳45歳など節目でバースディコンサートを開いています。
2002年にはフォークル再結成、北山さん曰く「医師と教員が本業で、音楽は何年かに一度の盆踊りのようなもの(読売新聞6月20日記事)」と話しています。

「盆踊り」という表現が、真夏の夜のひと時のにぎわいと喧騒を感じさせ、ノスタルジックで北山さんらしいなと思いました。

調べていて興味深いなと思ったのが、1982年から1985年まで行われた、「宵々山コンサート」。
北山企画・構成による「夏の時代」を意識したコンセプトということです。
彼らがスタートした1960年代後半から1970年代にかけてを「青春時代の春」、30代は「夏の時代」を意識したものだそうです。
「戦争を知らない子供たち」と言ったメッセージソングや反戦歌などを再評価したもので、当時の世相を体現していたのでしょうね。

九大の准教授時代に西洋文化が入る前の日本の母子関係を知りたくて、「浮世絵」を2万枚調べて450組の母子像を分析したそうです。これは海外から評価されたとのこと。
盟友の加藤和彦氏の死については次のように述べています。

【引用】
加藤は新しい音楽に挑戦し続け、常に高いハードルを自分に課し、あまりにも潔く去った。友としても精神科医としても無念でならない。みっともなくても、一緒にだらだらと老後を過ごしたかった。バカヤロー そんな思いを込めて、3年後の13年にアルバム「若い加藤和彦のように」を出した。(読売新聞6月20日)

「一緒にだらだらと老後を過ごしたかった」、という言葉は北山さん流の人生の楽しみ方のように感じました。
さらに北山さんは次のように言っています。

【引用】
僕は二足のわらじを履いていたように見えると思う。だけど、心に響く歌詞を書くことと、精神疾患を抱えた患者の心を言葉にすることは、自分の中ではつながっている。(同)

心を言葉にすることはわたしにとっても課題ですが、言葉にすることで見えてくる世界もありますね。
客観的になれるというのかな。
最後に北山さんは次のようにメッセージを送っていました。

【引用】
終わりは何かの始まりで、別れは次の出会いにつながる。一寸先の闇を楽しむ心持ちをお勧めしよう。(同)

ザ・フォーク・クルセダーズ.jpg

引用元:百姓通信

「♪酒はうまいし、ネェちゃんはきれいだ」

親しみを込めて、途中から「北山さん」にしました(笑)
エレガントな生き方だなと思いました。

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