SSブログ

スポンサードリンク

神話につながる祭祀の島 宗像・沖ノ島と関連遺産群   [新聞記事]

世界遺産に登録された「宗像・沖ノ島」についての記事をまとめました。
古くは神功皇后の三韓征伐で航海の安全を祈願した地でもあります。

数年前にテレビ番組で宗像大社と沖ノ島が紹介されて、島へは禊をしなければ入れない、しかも女人禁制だと紹介していました。

今思うと「沖ノ島」と何度か父親が口にしたことを思い出すのですが、宗像大社のそのような話は一度も聞いたことがありませんでした。
それもそのはずですね。
島は古来より「不言様(おいわずさま)」とも呼ばれ、島での見聞は一切口外できないことがずっと守られてきたということです。

最近、日本の古代史でこの地域が神話の時代につながっていることを知り、日本神話は我々の身近に息づいているな、と改めて感じます。
以下は読売新聞に記載されていた表を参考にしました。

            沖ノ島祭祀の変遷と時代背景
沖ノ島祭祀の変遷と時代背景.png


宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称で、天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)によって、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神とされています。
読売の記事によると、「しかし本来は、島そのものを神としていたようだ」とあり、こちらの方が現実的ですね。

沖ノ島は、福岡県宗像市の沖、玄界灘を北西に約40分進むと島がうっすらと見えるそうです。
島全体が宗像大社のご神体とのことで、「一木一草一石たりとも島外に持ち出せない」とあり、厳格な入島規制が守られてきたことは、わが国の誇りでもありますが、「日本人の文化度が試される世界遺産になる」と宗像大社の鈴木祥裕権禰宜(ごんねぎ=神職の一つ)は話したということです。

読売新聞の記者は事前に特別な許可を得て、上陸したそうですが、次のように報告しています。

【引用】
うっそうとした原始林の中、約400段の急な石段が続く。汗だくで登り、巨岩にのしかかられるように立つ宗像大社沖津宮の社殿にたどり着いた。10日交代で島に滞在する神職のおはらいを受け、遺跡群に足を踏み入れる。

祭祀遺跡は、島内でも社殿近くの巨岩群に集中している。1954年から行われた学術調査で、10を超える巨岩の周辺で祭祀遺跡が確認され、1~23号の番号が付された。4~9世紀、祭祀の場が、岩上、岩陰、半岩陰・半露天、露天の順に変遷したこともわかった。

この時発見された奉献品は、金製指輪、金銅製馬具、ペルシャ産とみられるカットグラス片、「卑弥呼の鏡」とも言われる三角縁神獣鏡を含む71面もの銅鏡など、計8万点に及ぶ。以下省略
(読売新聞7月10日10面)

三角縁神獣鏡.jpg


三角縁神獣鏡
引用元:ひもろぎ逍遥

写真をお借りしたブログで知ったのですが、島の女神に供えられた宝物は巨岩の上に1500年以上置かれたままだったそうです。
「ひえー!」と感動ですが、当然と言えば当然のことかもしれません。


nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

広告スペース
Copyright © シニカルを目指すわたしの雑学 All Rights Reserved.

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。